2015年(平成27年)2月28日臨時調査(進行具合)右側が遺跡コンクリート撤去された姿です
大井川鉄道 五和駅周辺紹介
大井川鉄道 五和駅報道記事
2015年(平成27年)4月3日静岡新聞朝刊記事
大井川鉄道 五和駅
『科学の礎石』の設置と説明文(金谷コミュニテイ委員会)2015年(平成27年2月)
2015年(平成27年)1月16日静岡新聞朝刊記事
2015年(平成27年)1月15日牛尾実験所遺跡跡地の解体竣工式が行われ解体始まる
本日小雨の中関係者ご出席の上起工式(解体ですので少し意味が違うのかもしれません)がおこなわれた
【島田市役所に牛尾実験所跡遺跡のジオラマ展示】本日2015年(平成27年)1月15日展示終了
2014年12月11日21時の、ニュースでアメリカ海軍が実践配備の軍艦にレーザー兵器を試験搭載したとの情報が流れていました
平成26年11月29日tinpin mikeノジュウル(直径5cm位)・・・・・右側の支柱左上の〇いノジュウル直径70cmありそうです)
平成26年11月29日遺跡の北西側(この静けさは60年前と変わりないのではないでしょいうか、静かな川の流れ)
平成26年11月9日最近のイベント開催報道
牛尾実験所跡遺跡・現在の様子周辺風景(平成26年2月16日撮影) 牛尾実験所・電源室の床面(標高102m)の高さ関係は堤防道路より約14mのところです(仮設営階段20cm70段あります)
これがどのようなものか、いずれわかるでしょう、そしてその影響はどのようなものになるでしょうか、
第二海軍技術廠牛尾実験所跡に関わる催のご案内
現地説明会(平成26年11月29日)牛尾山鼻地区
午前中豪雨の中多数参加ありがとうございました、また午後は快晴になりましたが、
足場のぬかるみにもかかわらず 多数参加されありがとうございました
(参加者多数で午後3時半ごろ無事終了いたしました)
次回の現地見学会は無し)
島田市金谷庁舎(平成26年11月9日)河村豊教授による講演と調査報告会(参加者100人 〜120人位いました)
平成26年11月9日最近のイベント開催報道の一部(金谷庁舎ジオラマ展示)
平成26年11月20日保存を求める署名の提出報道
平成25年大井川420年ぶりに川幅改修
(左は現地の看板・・・・右側は島田市資料の航空写真転写)
平成25年5月21日川幅改修初期・・・・・・・・・・・平成26年11月30日現在
第二海軍技術廠(ショウ)牛尾実験所跡遺跡(史跡)
大井川対岸堤防から見た突き出ている牛尾山
この森の中に第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡(史跡)があります
この山全体を切り崩して、川幅を広げようと改修する次第です、改修工事完了されますと遺跡の中心部分は
撤去され跡形もなくなりますので、壊れる前に発掘調査され資料の保存を急ピッチで行うことになっています
島田市教育委員会史跡保存部門・平成25年、大井川420年ぶりに川幅改修
平成26年イベント開催されたものなど含め随時記載してゆきます(古典ラヂオミニミニ博物館ー牧田良秋)
島田の牛尾実験所跡遺跡ー発掘結果16日に説明
平成26年2月16日(日曜日)9時30分〜10時30分と11時から12時の2回
一般向け現地見学会、
平成26年2月16日見学しました、現状綺麗に発掘され全容がはっきりしていました
左奥が反射器(パラボラのような構造)の支柱基台ー発振室ー電源室
Z研究⇒牛尾実験所跡遺跡から想像した 解体前の牧田良秋の仮説
距離と対物に対する角度の問題 PNG表示 JPG表示 Z研究に関する文献、資料、参考記事
疑問 T : 電源室の崩壊前ドームの構造
通説: 電源室は崩壊前ドーム型で敵機に見つからないよう、草木を植えられていた、その為
重量に絶えられなく、梅雨時の土壌の重みで崩壊したなどと言われています。
仮説: @電源室はドーム型で草木を植えられていた、その為重量に絶えられなく土壌の重みで
崩壊した事はその通りかも知れませんが。
A敵機に見つからないようという理由よりは電源室を強力な乱反射による電磁波の影響
を食い止める遮蔽効果として土壌を屋根に張り詰めたのではないかと思われます
疑問 U : 反射鏡(円形反射板)の方位
通説: 電源室北側の反射鏡(パラボラアンテナのような構造物)取り付け基礎と言われ
この二本にささえられ (大井川上流)白光山方面の北側に向け取り付けられていたと、
多くの方が説明されています、
仮説: 電源室北側の反射鏡(円形反射板)は小生の仮説は 南側に向け設置された、
理由:北側には常識的に考え飛行物体はほとんど通過しないであろう、敵機南側より進入されるか、
破壊目標は大井川に架かる鉄道橋、道路橋を爆撃するのが作戦としては当然と思われるので上空に向
けるのならば位置関係からして反射鏡は南に向けることが妥当考える、
電源室と反射鏡の配置図は下記の想像図を見てご理解ください、
疑問 V : 電源室の20度から30度のスロープ
通説: 下の広いところでくみ上げたものをスロープを使い発振室に引き上げたスロープと話されている
のが通説です
仮説: 発振室に上げるためだけにスロープを作ったとはあまりにも無駄で考えにくいものがあります、
頻繁に行き来させる必要があったか疑問でした、そのようなことで他の理由ではないかと
小生は考えました・・・・・・・それは
仮説: 電磁波発射角度とその方式にあるのではなかろうか
電源室マグネトロンから、導波管で誘導し、反射鏡に電磁波をあて空中に放射する導波管は固定で
反射鏡に30度ぐらいの角度で入射し反射鏡は角度可変になっていればほぼ水平から真上ぐら
いの範囲での照射は可能となるはずです、したがってこの方式をとることの方が技術的に見
て抵抗が無いような気がします
電源室の北側に反射鏡をつけた場合は電磁波誘導に直固定管(導波管)ですと角度調整はで
きない、さもなければフレキシブル導波管が必要となりますが大電力の場合どうでしょうか
伝送損失が多すぎるのではなかろうか、非現実的等々考えます以上により反射鏡は南に向け、
二本のコンクリート台座を支柱に角度可変構造とする
これが小生の仮説です、根拠はありませんが、マイクロ波の技術的考察です
この仮説については多少無理な仮説かもしれませんが大電力装置ともなれば想像を絶するもの
@100KW,200KWという磁電管( マグネトロン)はこのぐらいの大構造物に
なるような気がします
磁電管 マグネトロンはこのぐらいの大構造物になるような気がしますが、
小型を数十台供給する
A1台5kwないし10kwの発振器を10台、20台並べ中心導波管に供給し200Kw等を
得る装置かもしれない
Aの構成装置のほうが現実的で可能な方法と考えます、
理由はここの実験場にガス発生室がありその用途を考えるとき、磁電管製作時の真空
処理のための装置でしたら磁電管の大きさが、山道を持参し運べる大きさと考えられる
(通路が狭く天秤棒など使用し二人がかりで運搬するのが限度ではないかと思われます)
新仮説は電源室ー発振室ー反射器(パラボラのような構造)の発振室のコンクリート建屋が
8mぐらいの建屋ですが中日新聞の記事(昭和25年)の映像から判断すると全体のコンクリート
建屋の入り口に開口部がありますのでそれらのことを考慮して仮説を考えました、発射射角度は
45度以下の放射は無理可もしれませんが、45度から80度ぐらいの可変は可能ではないかと考え
られます。この点は島田市より測量図が発表された時、寸法を読み取り再確認したいと思います。
新仮説(牧田良秋説)2014年平成26年2月16日追加の仮説資料
小生はこの柱が反射鏡を後ろから支えた枠組みの柱と考えました
新仮説よるジオラマ作成(2014年平成26年8月15日)
この模型はコンクリートの基礎部分は島田市の発掘調査により正確に測量されていますのでそれらに元ずき
1/100の縮尺で製作しています、
この模型は小生の仮説に元ずき電磁波発射をして飛行機に照射(電磁波のつもり)したところです、飛行機赤く光っている部分
両サイドの山部分を製作完成です、
この映像コピーされ島田市のオオルリで開催されているイベントに持参の際、参考にされると理解しやすいかもしれません
これらは一研責任者の日本無線グループ山崎総一郎氏側の所員のほうが詳細がわかるのかもしれません
理由は
すでに大電力のマグネトロンが開発されかなりの成果があったようにも聞かれるため、真相については当方不明
(100KWは完成し、これから500KWの開発に進めようとされた時終戦と伝えられています)
証明写真等発見されれば解決しますが、なかなか新証拠資料が出てきません、それまでは、いろんな見方
考え方があろうかと思います、みなさまも考えてみてください
海軍技術研究所島田分室 敷地当時の建屋配置
一研建屋の45度ぐらいの配置の理由
尚水間正一郎室長のスケッチは地上実験所内で対象物固定ですので水平に配置され基礎実験が行われていたと考えます
しかしどうして一研建屋が他の建屋と45度ぐらいひねってあるのか不明でしたが、おそらく・・・
水間正一郎様のスケッチではわかりにくかったですが米国撮影の航空写真ではっきりしました
一研建屋と飛行機の位置関係から建物45度ぐらい他の建物に対し角度が変えてあるのは?
実験所の水間氏のスケッチ配置図だけですとわかりませんが、大井川鉄橋、国道一号線まで
広範囲に眺めてみますとなんとこれらに平行になるような配置となっているのです、万一
ハイパワーの電磁波が発射されても鐡道、国道橋に影響が出ないようにとの配慮で建屋を配置
されたのではないかと思われます。
こちらの件も、みなさまも考えてみてください
平成26年11月29日珍しい石発見:ノジュウル(直径5cm位)・・・・・右側の支柱左上の〇いノジュウル直径70cmありそうです)
島田工業高校 建築科3年 課題研究班 製作のジオラマ (平成26年11月金谷庁舎ー12月、平成27年1月島田市役所ロビーに展示)
大江会名簿(元技研島田分室在籍者)
海軍技術研究所島田実験所分室長
>水間正一郎⇒(元海軍技師)氏の起こした起業〔島田理化工業〕の50年代の製品の一部
昭和28年旧電々公社納入マイクロは群分波器はじめそれらにかかわる中継用マイクロ機器
昭和26年(1953年)〜 昭和28年(1953年)〜 昭和30年(1955年)〜
ヘイリュウ(定在波測定器) 波長計 サーミスター電力計
元海軍技術研究所島田分室(実験所)の所在地は現在の住居表示の郵便番号[427-0037]静岡県島田市河原2丁目7ー5の南一帯
元海軍技術研究所島田分室(実験所)に昭和18年〜20年終戦までの間勤務されていたと思われる方々の集まり名簿で昭和に数回
程、平成にはいって数回程懇談会が開催され集合されたようですが、皆様高齢になり、その後開催されていません
ここに掲げてありますメンバーの内どなたかが牛尾実験所に移動されたかは不明です、尚崎平に移動された方々も不明です
当時16歳だったとして、戦後70年ですので現在86歳になりますので、86歳以上から100歳前後ぐらいの高齢者となっております
元の名簿の発行責任者不明でしたが、近隣に在住されている 、方々からできる限り所在確認しおおよそ間違いないことが
確認されましたので、戦後70年の今日平成27年牛尾山近現代遺跡が解体されたこの年にと思い名簿整理していますが、まとま
りません、尚確認できません方々の物はもと名簿のまま整理しています。在籍されていた方々で名簿から落ちている方があり
ました。一説によりますと当初は集まった人たちの名簿作成したらしくたまたまその時出席されなかったのではないかとの説
があります。欠落理由はわかりません、所在判明次第まとめる予定ですが、個人情報の為、ホームページへの掲載はいたしません
【海軍技術研究所関連の詳細は下記よりお入りください】
【海軍技術研究所島田分室〜追憶雑記】
【海軍技術研究所牛尾実験所遺跡解体】(史跡)付近の大井川改修
【海軍技術研究所から島田理化工業の平和利用】(映像は昭和26年1月1日賀詞交換会)