第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡(史跡)と島田理化島田製作所解体
(Z研究⇒島田実験所・牛尾実験所・崎平疎開先)
海軍技術研究所の遺跡がまた一つ島田市牛尾山から消える
平成の大改修直前の牛尾山鼻先地区(この中に遺跡がある)
このコンクリート基礎遺跡は言い伝えによりますと、マグネトロンによる電磁波発射装置のドーム
跡とのことです、(完成前工事中 に崩落し未完成で終戦を迎えたとのことです)この場所
に足を踏み入れますとかなりの量のコンクリート残骸がありました
このことを考えますと、電磁波(光線)利用の破壊兵器の成功を待たずに、電波発射装置の
準備は平行し行っていたこととなります(まだ数十メートル先に損害を与える程度の光線電
磁波しか出ていないようでした、飛行物体ないしパイロットに損害を与えるなんて程遠いも
のだったのではないでしょうか、戦後はこのマグネトロン電磁波は平和利用に貢献され、電
子レンジの発達に貢献したようです
海軍技術研究所の資料は郷土史研究家のところに詳細資料がありますのでそちらの資料参考
にしてください当方は目で確かめ記憶に元ずいてメモした程度ですので正確な位置関係など
は無視です、従いましてメモ程度に見てください、
以下に本日平成25年(2013-3-17)撮影してきました映像を揚げておきました。遺跡がまた一
つ島田市牛尾山から消えると言うのも、大井川の堤防工事の数十年前からの計画で川幅拡張
の平成の大事業として国土交通省が進めています、工事で遺跡のあるところ含め山が削ずら
れるようです
第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡(史跡)の現状
左側小さい映像撮影者本人・北北東側の支柱【手を伸ばして自分で撮影しているため全体が写っていません】
・・・・・右側の映像のところに立っています
北北東側の支柱より南南西側の支柱を見たところ・・・・・
遺跡敷地と思われるところから東側を見ています
遺跡敷地と思われるところから北側・・・・・
遺跡敷地と思われるところから東側を見ています
支柱手前が東側、向こう側が西側です・・・・・
遺跡敷地と思われるところの北側から建屋基礎に掛けてのコンクリート
遺跡敷地と思われるところの北側から建屋基礎に掛けてのコンクリート・・・・・
遺跡敷地から南を見ています大井川に架かる新東名高速道路
遺跡敷地と思われるところ中央の木立ちの空いているところ・・・・・
遺跡敷地と思われる所の手前で堤防工事が数十年前からストップされている
牛尾山解体現場
遺跡敷地寸前までお山の切り崩しが進んでいます(2013-11-14撮影)
撮影目線は遺跡敷地←←←真南(大井川西)〜南東(大井川東)新東名より撮影(2013-11-14)
撮影目線は遺跡敷地の南東(大井川東)新東名より撮影(2013-11-14)
疎開先・本川根町崎平の現在の様子周辺風景(2013-12-13撮影)
大井川発電所(崎平)このトンネルに備品・設備材料を疎開させたのではないかと思われます
正確ではありませんが約100mありました(2013-12-13計測餘家と牧田が歩幅測定で確認
このプレートによりますと大井川発電所昭和11年運転開始のようですね(2013-12-13撮影)
牛尾実験所・現在の様子周辺風景(2013-12-27撮影)
電源ドーム西側基礎ー右側電源ドーム基礎全体(2013-12-27撮影)
電源ドーム 基礎ー右側電源ドーム基礎から北側を見る(2013-12-27撮影)
発振部建屋基礎のサイドでおそらく湿気を防止するための溝の役目をさせるため小砂利を敷き
詰めたのではないかと思われます、又別の意見もあろうかと色々考えて想像してみてください
(2013-12-27撮影)
隣接する山の上から見下ろした風景(2013-12-27撮影)
牛尾実験所のうち下の部分は平成の大改修の中には含まれていません、従って今も建物解体し放置されたままです
牛尾実験所左側石炭ガス発生装置基礎ー右側変電室基礎周辺風景(2013-12-27撮影)
牛尾実験所・現在の様子周辺風景(平成26年2月16日撮影)
出土品(近年中に島田市博物館より全容の展示がされます、島田市の広報などで公開)
現場から発掘された部品が下記の部品の一部分と思われます
ジオラマ製作島田工業高校建築科生徒たち(11月8日学内文化祭で初めて披露-翌日ここ金谷庁舎展示)
参集者、河村教授、電子会 餘家、島田市教育委員会職員、臼井、新間、牧田
情報交換と牛尾山解体場所周辺の現状視察
平成28年(2016年)8月13日の現地(工事終了は平成30年(2018年)度完了予定)
2009年平成21年
富士山静岡空港が開港し、また大きく変化するであろう生活習慣など、関東と関西を飛び越え
て外国との交流が開花し発展しようとした年に、残念なことがこの島田市>内に起こりました。
ギャラリー六合【古典ラヂオミニミニ博物館内にSPCの面影展示場設置】
静岡県島田市(JR六合駅南口線路沿い西徒歩3分)2010-12-8現在
SPCの一部の機器など、超音波の音他多少の資料が見聞きできます是非お立ち寄りください
昭和と平成の21年の因縁
島田理化工業島田工場(島田製作所)は
昭和21年に創業(平成21年に解体開始)
昭和22年に設立(平成22年に解体完了)
創業当時からの大先輩(大上良治様、小長谷久雄様)がまったく時を同じにし逝きました事は大変残念なことでした
昭和21年に創業当時にお世話になった、東海事業⇒東海パルプがこれも時を同じに
社名改名され島田から長年親しまれまれた『東海パルプ』の名前の消えた年でした
昭和21年創業から東海パルプとともに歩んだ
島田理化工業の看板がこの島田市から消える
島田製作所建物解体途中と終盤風景(2010-9-17撮影)
平成21年11月30日を持って、高周波応用機器部門中心に本社工場・東京に移管
平成21年11月30日島田製作所閉鎖
平成21年12月5日島田製作所
平成21年12月7日機材搬出完了
昭和21年12月8日が創立日ですのでちょうど昭和の年号分で島田市から消えることになりました。
臨時ニュ−ス:平成21年12月21日発表
平成22年3月31日をもって上場廃止、三菱電機完全子会社
島田製作所その後経過(2010-6-05現在)
第一工場、第二工場、塗装・鍍金、資材倉庫等が解体
島田製作所その後経過(2010-7-19現在) 島田製作所その後経過(2010-8-15現在) 島田製作所その後経過(2010-9-15現在) 島田製作所その後建物最終部分撤去状況(2010-9-15現在)
島田製作所建物解体終盤風景(2010-9-17撮影) 島田製作所建物解体終了後の 更地風景(2010-11-25撮影) 近郊牧之原台地には海軍航空隊訓練基地(ゼロ戦パイロット養成所)
が終戦と共に閉鎖された、航空隊の跡の遺跡として保存されています
1946年昭和21年旧海軍航空隊、パイロット養成所として同じ牧の原台地の西隣尾根
の空港が閉港し解体された(大井海軍航空隊・牧の原台地)年でもありました。組織
解体そのものは終戦の8月15日以降いつの日か閉鎖されたかと思われれますが不明
島田理化追憶と雑記詳細
現場を知る人は減少し、遺跡、建物は解体され薄れて行くのを少しでも食い
止めるため手持ち資料と記憶で 元島田理化の従業員の手記でまとめています
Gallery-6(古典ラジオミニミニ博物館)よろしかったら後程眺めて見てください
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(現在は工事中の為メール停止中)