『海軍技術研究所島田分室真相に迫る』ここでの展示理由  

ここに掲載されていますものは、言い伝え、聞き取り、流言、などは掲載せず手元資料の分析と想像

つぶやき @

反射鏡かアンテナかは後程検討するとして つぶやき
Z研究、A研究、勢号研究
等、いろんな方向に動いたようですが、いろんな疑問が起きてきます。これは当時、担当された方々す
べての方が本音を話さないがために、後世の方たちがいろいろ想像されるためではないかと思われます
いろいろの実験などされたようですが、ここでの収穫は戦後には平和利用で各方面に役だった理論、技術
など電子工業の発展に寄与されています
マグネトロンの開発実験は進んだのですが、冷静な見方をすれば、100Kw、500KW、1MWのマグネト
ロンが完成したとしても、
@電波をアンテナで受けその微細な信号に外部から電力を供給し増幅されたものを取り出しスピ^カー
などから大音響で聞くようなことができますが
AZ研究は大電力電磁波を5千m先、1万m先の航空機に被害を与えてB29など追撃させようとこころみての
装置開発と言われていますが、電波の性質では、下記のごとく影響を与える事ができるとは思えない ?


Z研究の考察(ロ)

各種の研究成果については、特にデバイスについていくつかの注目すべき成果と完成はあったことは
事実である。しかし100KWのマグネトロンが完成したとしても、
次の各項目が研究段階であり、短期間での完成は極めて困難ではなかっただろうか。
特に指示を受け責任者は相当のプレシャーがかかり成果の発表に急いだようなことも見向けられます
牛尾実験所の建設も島田実験所の疎開ともいわれていますが、疎開ではなく、上層部に研究の成果と
して電波発射ができる段階まで来たと表現するうえで牛尾を建設されたとも思われます、色んな事が
あると思いますが、下記のごとく解決させる事項が山済みの様な気がいたしますので、列記します
1. 送信機からアンテナへのエネルギーの供給
(1) 導波管の伝送ロスは
2. 空中線の輻射効率
(1)空中線と導波管接続ロスと空中線の輻射効率
3. パラボラリフレクターの利得とビーム幅
(1) パラボラリフレクターの利得を40dbiと仮定。
(2) 空中線系のロスによる放熱を処理できたと仮定
4. 輻射エネルギーの照射角度とトレーシング
(1) 被照射体の翼長を25mと想定
(2) 被照射体との距離を5000mと想定
(3) 被照射体のトレーシング精度
条件から計算すると±0.14度に被照射体をトレーシングしなければならない。
この時被照射体は時速数百キロで移動している。
5. 被照射体への照射エネルギーと距離
(1) 使用周波数2GHz
(2)  被照射体への照射エネルギー
@照射エネルギー比率
電磁波名   波長(m)   エネルギー   被照射物への影響
γ線      10-12    1240000      核分裂・ガン治療・品種改良
X線      10-11    124000      診断・検査
紫外線     3×10-7    4.1      化学変化の誘発・殺菌
可視光線   5×10-7    2.5      写真
赤外線     10-4     0.012      表面加熱・暖房
マイクロ波   10-1     0.000012    内部加熱・レーダー

Aエネルギーと照射距離
「伝搬距離の2乗に反比例する」
例:発振装置 1m    10m    100m   1000m   1万m
  100KW  100KW   1KW   10W    0.1W     0.001W

以上何か気になることがありましたので、『つぶやき』としてメモしてみました。まとめる
にあたり資料の一部に 矢澤 さんの知恵をいただきました、ありがとうございました

つぶやき A

真空管【ウミ】についてのつぶやき


霜田氏の研究内容を見まして小生が保管している真空管について感じたことを記しておきます

アメリカ軍の戦利品レーダーのアッセンブリーが掲載されていました、NO.6の資料がありましたので、
それを見て気ずいたことは説明文中のNO.6と同様な NO.5 が当方手元にあるので見てみました
このアッセンブリーはレーダーの受信機用で発振管はクライストロン、検波は真空管6AL6が刺さっています
霜田氏の資料の中で鉱石検波器では非常に不安定で実用性が乏しいような記述が各所に出てきています
そして、人によっては使い物にならないというようないろんな方からの指摘が書かれていますで
日本のレーダー開発技術者は鉱石検波器はアメリカも使っていない真空管を開発すべきとなったのでは?
ここでヒョットしましたら2極管検波真空管が浮上し開発されたのではないかと思いました、実用化されず
終戦を迎え、幻の(ウミ)となったのではないでしょうか

[ソラ]は軍用受信機に使用されていたので戦後市場に相当数の真空管が出回っていたのではないでしょうか

米軍のレーダーの局発、検波部分のユニット(ここにダイオードではなく2極真空管が使用されています)

「ウミ」日本製2極管です、(何に使用されたか文献は有りませんが米軍の検波器見て開発されたのかも?)

つぶやき B

海軍技術研究所島田分室に派遣された人々の つぶやき

海軍技術研究所島田分室(島田実験所)の僅かな期間に何があったのか、係わった方々からは
真相はなかなかつかめませんので、当時の資料をひも解いて、どの程度のことが行われ、
どのように、進めれれていたのか、まったく今までとは異なる方法で分析したいと思います
これには、当方の知識では何もできませんので、専門の学者さんにお願いしようと思います
いずれにせよ、ただいま膨大な資料から読み取ろうとしています、今しばらくお時間ください

小林省己 私の履歴書 阪大7回生
大阪大学: サイクロトロン研究室(菊池研究室助手)
島田分室:渡瀬研助手として従事
8月14日は水間正一郎 副所長と崎平に居た
島田から立ち去るとき水間氏から帰省旅費なのか若干いただき退散した
大阪大学戻りその後東洋真空に入社、海外技術援助の仕事に従事帰国、起業(食品添加物)し晩年大阪で暮らす
自分の人生で島田の海軍技術研究所に行ったことが幸運だったと述べられています

原本資料は公表許可されていませんので、ここでは開示いたしません

[小林省己氏晩年に書かれた私記の原本コピー ](平成25年頃子孫が自宅で発見)

つぶやき C

海軍技術研究所島田分室に派遣された人々の つぶやき

『岡本禎夫 私の履歴書』を作成に当たっては御氏族長女様の資料提供のご協力によるものでまとめました
昭和18年学徒動員で東芝富士工場に勤務、その後海軍技術研究所の本部恵比寿に呼ばれ、訓令を受け昭和20年
海軍技術研究所島田分室(この時点は海軍第二技術廠、電波部、島田実験所)に勤務された。 配属先仕事は
渡瀬研の大学院生蜂谷さんの手元作業
・・・・・・・・・・・・・・
岡本禎夫様の生前の戦後の人生について日頃自分は良い人生であったと東芝には感謝する次第と良く口
にしていたことが今でも思い出されます、学徒動員で東芝に出向いたことがその後の人生に大変影響を受け
あちこちで苦労したこともなんの苦労には思えず、大変幸せな人生だったと話されていました、
 

原本資料は公表許可されていませんので、ここでは開示いたしません

つぶやき D

23m級の反射鏡(パラボラアンテナとも表現されている場合もあります)つぶやき
Z研究
A研究
勢号研究
等まとまりがつかないまま、いろんな方向に動いたようですが、いろんな疑問が起きてきます。これは
当時担当された方々すべての方が本音を話さないがために、後世の方たちがいろいろ想像されるためで
はないかと思われます

冷静な見方をすれば、例えば23mの反射鏡が現地にあったという証言がありますが、
@23mの反射鏡を戦艦大和(大和級)の砲台の構造を利用して方角、方位をコントロールした構造の物
にマグネトロンから出された電波を発射させるような電波兵器の開発計画があったようだというような事
Aまたこの砲台が大井川発電所に持ち込まれたようだ、とか言われていますが、あまりにも不自然な話で
はなかろうか、あまりにも重量がありかなり分割されても当時の大井川鉄道では運搬できなかったのでは
ないでしょうか(大和の主砲砲台は全体では2500トンぐらいあったようです可動部分だけでも数百トン?
Bかつこれを戦艦に乗せる計画等が話されていることもありますが、船ですからこの手の重量物は設置可
しかし、万が一、500KW級のマグネトロン開発されたとしても、大型艦船でも電力が足りないでしょう
C「大和」「大和型」であれ「主砲」「副砲」であれ「砲台」「砲塔」であれ、なんであっても学者は考
えなかった?
D戦艦大和は20年3月に沈没しています、この時期に沈没した船の砲台、砲塔を語るのは不自然であろう 

70年たった今考えますと後世の人々の空想のような気がします、皆様冷静になって考察してみてください

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