ギャラリー六合【古典ラジオミニミニ博物館】は下記映像クリック願います。


[館内の様子・ギャラリー六合]

ギャラリー六合は東海道線六合駅西300mのところにあります

 

ギャラリー六合(古典ラジオミニミニ博物館、船舶用津伸機器を併設)

 

島田理化の超音波機器をパネル、写真で発祥地の島田市に面影を展示(2010-12-8)

ほんの一部ですが超音波機器のベースです。修復動作品(廃却処分されたものでまとめました)

昭和21年当時からのSPCマークの色々(皆様から持ち寄り集まった物です)、現在使用されているバッジは無し

ようこそ島田市へ。

平成20年(2008年)5月金谷町は島田市と合併し榛原郡金谷町はなくなり島田市となりました。


「越すに越されぬ」と詠われた大井川に架かる世界一長い木造歩道橋が切手になりました

平成21年(2009年)6月4日富士山静岡空港が(切手になりました)開港致しました

周辺道路の整備を牧之原台地を中心に急ピッチで整備しました


島田市は、静岡県のほぼ中央に位置し、北には南アルプスへ続く山々が連なり、南には

緑豊かな牧之原大茶園が広がります。市内には、かつて「越すに越されぬ」と詠われた

大井川をはじめとする大小幾つもの川が流れる「水と緑の美しい落ち着いた」まちです。

平成21年(2009-12-4)古典ラヂオミニミニ博物館から見た島田理化(SPC)背景が栃山です/font>

昭和と平成の21年の因縁

2009年平成21年富士山静岡空港が開港し、また大きく変化するであろう生活習慣など、関東と関西を

飛び越えて、外国との交流が開花し発展しようとした年に、残念なことがこの島田市内に起こりました。


1946年昭和21年旧海軍航空隊、パイロット養成所として同じ牧の原台地の隣棟の空港が開港し解体さ

れた年でもありました(解体そのものは終戦8月15日を持って閉鎖されたか?と思われれますが不明)



昭和21年創業から東海パルプとともに歩んだ

島田理化工業の看板がこの島田市から消える



島田製作所建物解体途中と終盤風景(2010-9-17撮影)



平成21年11月30日を持って、高周波応用機器部門中心に本社工場・東京に移管

昭和21年から平成21年のあゆみ

創業当時から活躍された故小長谷久雄氏の手記より引用

昭和21年当時の河原町工場

昭和21年前後の記憶

以降の続きは後日記載、今しばらくお待ち願います。



昭和23年(1948年)島田理化工業所に日本の物理学者など顧問の訪問、こんな時代もあった

昭和27年(1952年)当時と平成21年(2009年)の蓬莱橋です、こんな時代の間島田理化は島田市に存在していました

1952年当時の蓬莱橋は左側の先生と高さを比較してみてください、当時の蓬莱橋は柱も丸太(木材)で水面から2m程度しかありませんでした、(現在はコンクリート柱で6mぐらいあります)

1952年(昭和27年)小学校の遠足の途中での記念撮影(前列右から三人目が筆者)



昭和35年1960年、島田工場の当時3棟ありそのうちの北側に位置する事務所、設計、計測部門の工場空き地、昼休みのひと時

工場長もまだベンリー125cc、の時代(自動車の持ち主は運転免許無く同僚(ハッピーセブンの持ち主)が運転してドライブしたものでした

昭和35年1960年正月

昭和40年1965年正月

平成21年11月30日島田製作所閉鎖

平成21年12月5日島田製作所

平成21年12月7日機材搬出完了

昭和21年12月8日が創立日ですのでちょうど昭和の年号分で島田市から消えることになりました。

臨時ニュ−ス:平成21年12月21日発表

平成22年3月31日をもって上場廃止、三菱電機完全子会社

島田製作所その後経過(2010-6-05現在)

第一工場、第二工場、塗装・鍍金、資材倉庫等が解体



島田製作所その後経過(2010-7-19現在)



島田製作所その後経過(2010-8-15現在)



島田製作所その後経過(2010-9-15現在)

島田製作所その後建物最終部分撤去状況(2010-9-15現在)





島田製作所建物解体終盤風景(2010-9-17撮影)





島田製作所建物解体終了後の 更地風景(2010-11-25撮影)

ギャラリー六合【古典ラヂオミニミニ博物館内にSPCの面影展示】 

静岡県島田市(JR六合駅南口線路沿い西徒歩3分)2010-12-8現在

SPCを語り、話題にと言う方は是非お立ち寄りください、超音波の音他多少の資料が見聞きできます

島田理化工業島田工場(島田製作所)は

昭和21年に創業(平成21年に解体開始)

昭和22年に設立(平成22年に解体完了)

創業当時からの大先輩(大上良治様、小長谷久雄様)がまったく時を同じにし逝きました事は大変残念なことでした

昭和21年に創業当時にお世話になった、東海事業⇒東海パルプがこれも時を同じに

社名改名され島田から長年親しまれまれた『東海パルプ』の名前の消えた年でした

海軍技術研究所の遺跡がまた一つ島田市牛尾山から消える



このコンクリート基礎遺跡は言い伝えによりますと、マグネトロンによる電磁波発射装置のドーム跡とのことです、

(完成前工事中 に崩落し未完成で終戦を迎えたとのことです)この場所に足を踏み入れますとかなりの量のコンクリート残骸がありました


このことを考えますと、電磁波(光線)利用の破壊兵器の成功を待たずに電波発射装置の準備は平行し行っていたこととなります(まだ数十メートル先に損害を与える程度の光線電磁波しか出ていな

いようでした飛行物体ないしパイロットに損害を与えるなんて程遠いものだったのではないでしょうか、戦後はこのマグネトロン電磁波は平和利用に貢献され、電子レンジの発達に貢献したようです


海軍技術研究所の資料は郷土史研究家のところに詳細資料がありますのでそちらの資料参考にしてください

当方は目で確かめ記憶に元ずいてメモした程度ですので正確な位置関係などは無視です、従いましてメモ程度

に見てください、以下に本日平成25年(2013-3-17)撮影してきました映像を揚げておきました。遺跡がまた

一つ島田市牛尾山から消えると言うのも、大井川の堤防工事の数十年前からの計画で川幅拡張の平成の大事業

として国土交通省が進めています、工事で遺跡のあるところ含め山が削ずられるようです



北東側の支柱【手を伸ばして自分で撮影しているため全体が写っていません】右側の映像のところに立っています


東側の支柱より西側の支柱を見たところ・・・・・遺跡敷地と思われるところから東側を見ています


遺跡敷地と思われるところから北側・・・・・遺跡敷地と思われるところから東側を見ています


支柱手前が東側、向こう側が西側です・・・・・遺跡敷地と思われるところの北側から建屋基礎に掛けてのコンクリート


遺跡敷地と思われるところの北側から建屋基礎に掛けてのコンクリート・・・・・遺跡敷地から南を見ています大井川に架かる新東名高速道路


遺跡敷地と思われるところ中央の木立ちの空いているところ・・・・・遺跡敷地と思われる所の手前で堤防工事が数十年前からストップされている



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